推進員養成講座参加者の感想

父が亡くなってから早や十年、毎日のお勤め(勤行)は、なかなかできずじまいで、月命日の九日だけは、朝のお勤めをして、仕事帰りに、お墓に花をお供えに行くということをしてきましたが、この養成講座をきっかけに、早朝のお仏飯のお供えをして、時間に余裕がある場合は、「正信偈」をへたなりにお勤めをするということに少し改善されたように思います。何ひとつ立派なことはできませんが、ひとつ間違ってきたことは、お仏飯をお供えしてお勤めをしていたことです。ありがとうございました。

今までに無き聞法値遇に触れさせていただき、なんと深き事、知れば知るほど、教われば教わるほど、「解らなくなっていく世界」このような私にお寺の推進役が務められるのか不安でならない。
今回の受講を生かし、仏法僧に帰依し私は私なりに聞法に励みご門徒さんと共に護持に勤めていきたく思っております。いい機会を与えていただきありがとうございます。「南無阿弥陀仏」

第一回研修会、来入寺さんでの講習から5回の講習が始まりました。講師の老泉先生の講義の後、班別に分かれての座談会があり、その後、まとめ講義を行う形式での、講習会でした。座談会が比較的時間が取ってあったので、座談会での意見交換が非常に活発で、日ごろのお寺との関わり方や、問題点などたくさんの意見が、聞くことができ大変有意義な研修会でした。今後は推進員の活躍できる場所作りを是非お願いします。

この度、推進員養成講座にスタッフとして参加させていただきました。十分に役割が果たせるか不安でしたが、熱意あるご門徒さんに囲まれ、楽しく充実した時間を過ごすことができました。
社会の生活基盤の変化に伴い、お寺の在り方も変化していかなければならないことを実感するとともに、祖父母や親世代が大切にしてこられた「私にとって大事なもの」を、次の世代に引き継いでいけるよう、ご門徒さんと共に考え、工夫しながら取り組んでいきたいと思います。
推進員養成講座を通して、貴重な経験をさせていただいたことに深く感謝申しあげます。

「何や知らんけど、総代さんから電話があったで」家族の言葉に慌てて総代さんのお宅を訪ねた時、初めて推進員という名を聞きました。普段あまりお寺様のことに疎い自分としては、よう解らんけど、まぁ参加してたらいいならとか、休んでもいいらしいからとか、軽い気持ちで申し込んでしまいました。参加してみると、自分が最もお寺様に関する知識も経験もないことが良くわかるとともに、ここで学ばせていただけるのは、ありがたいことなんやと感じました。前期5回を終えて、十分には程遠いですが、前より少しだけお寺様との距離が近くなった気がします。推進員になれるかどうかはわかりませんが、遂・信心となれるようになればと思います。

最初、浄教寺責役さんから推進員になってくれと頼まれたときは嫌でしたが、参加してみると思いのほか良かった。講師の方もよかったが、メンバーも良く、意見や質問等にも大変丁寧に答えてもらい、仏教のことが少しは理解できたようにも思います。
村での同朋会で、参加して少しは面白みが出てきたと思います。
また、大勢での声明がそろい、感動を覚えました。皆さんがそれぞれ異なった意見や発言があり、有意義でもあり、ちょっとした聞法でもあり、浄教寺門徒の、私より若い人に参加を願う次第です。

お寺の行事、行事内容、ほとんど参加もしておらずわからないまま、お声をかけていただき、これもご縁で選ばれたことに感謝して参加させていただくこととなりました。
メンバーを見ると、ベテランの方たちばかりで、座談会でのお話や取り組む姿勢がすばらしくて、大丈夫かな、ついていくだけでも大変ではと思いがちでした。しかし、気負わず皆さんの話をよく聞いて勉強していこうと思い直して参加してきました。お内仏のこと、法事の事など、場所によっていろいろ違っていて、またみなさんの思い経験談的なお話で自分自身のこれからの取り組み方、参考になること、こうやったのかと初めて知ったこと、などなど大変参考になり参加できてよかったと思いました。推進員というところまではまだまだですが、少しずつできることからやっていきたいと思います。

なんとまぁ、ご縁とは不思議なこととつくづく感じています。目の見えない亀のお話を思い出しながら、この講習に出会えるまでにどれだけの奇跡があったのか・・・。
顔も違う、声も、体型も、考え方、育ってきた環境等々全て違う人たちと、出会えたことに喜び感じ、そして話し合えてことに感謝したい。そして貴重な体験、経験を次の世代へ伝えていくために、今後も、一向専念無量寿仏、聞法生活に精進していきたいと思います。

一.知らない人と多く出遇えた
一.いろいろな意見と多く出遇えた
一.自分と違った考えと多く出遇えた
一.自分のわからない知識と多く出遇えた
一.共通の問題を悩む仲間と多く出遇えた
等、たくさんの出遇いができたということは、これからの私の生活に活かされることだと思います。
小さな出遇い、大きな出遇いがあると思いますが、その場面に私がいて、そこの大切な考えに気づかせていただくということに、これからも感謝の心を大切にしたいと思います。

組の活動にスタッフという形で参加させていただき、講師の先生の話に関連したことや、それ以外にも日頃から感じていることをご門徒の方々と話し合う貴重な機会を得ることができました。心の中で門徒さんたちはこう思っているということを直接聞くことができ、寺族側に立っている自分がこれからどう寺を動かしていくべきなのか、少しヒントをいただけたような気がします。
また、寺族として当然知っておくべきお内仏のことや帰敬式のことについて、改めて確認することができ知識のベースを少し固めることができました。
最後に、他の寺のご門徒さんの方々と話したりする場は中々ないので、今回参加させていただいてとても勉強になりました。

全5回の前期日程が終了し、老泉先生の講義と座談会を通して、「私たちがこれから大事にしたいこと」について様々なことを感じ、教えていただきました。
お寺へのお参りや行事の準備、またお内仏のお給仕など、先代から引き継いで、実際に今自分がやっていることを皆で話し合う座談ができました。
そして、やめてしまった行事、残していきたい行事を話し合ううちに、先達の大切にしたかった願いに気づかせていただくことができたと思います。
先達の残した形だけでなく、形に込められた願いを次の世代に伝えるために、今私たちができることをこれからも皆さんと考えたいと思います。

ご住職により推進員養成講座を受講して頂けませんかとのお言葉があり、内容も分からないままに返事をさせて頂きました。日程を見ますと毎回夜7時からですので外は真っ暗、少し心細くなりましたがお寺の中に入りますとたくさんの人です。ほとんど男性ばかりで女性はほんのわずかで少し残念に思いましたが、会場も組内のお寺を次々変わり、第一回、第二回と、、、講義を受けていきますと、だんだん楽しみになりました。聞法中心の生き方をさせて頂くためのいい受講だったと感謝しております。これからも皆様方と聞法の場でお会い出来る日を心待ち致しております。ありがとうございました。

いままで、寺との関わりが薄く仏教の知識もなく、さらに推進員が何かもわからない私が前期講習に5回参加させていただきました。老泉先生のお話で、寺の起源、その沿革と目的、意義などを詳しく説明いただき、また班ごとに分かれて他寺門徒の方々と決められたテーマについて、また自由な意見での座談会で色々学ばせていただきました。そのおかげでぼんやりと輪郭が見えてきたようです。しかし、まだまだわからないことばかりで、推進員として恥しくないように自ら学び、経験しなくてはと痛感しております。同朋会活用に少しでもお役に立てるように研鑽と実践を積んでいきたいと思っております。

12月8日(金)~12月10日(日)の二泊三日、本山真宗本廟、同朋会館での研修に参加させていただきました。ご門徒・同朋の皆さんと共に生活し、共に親鸞聖人の教えを聞かせていただき、研修の場としてご縁をいただきました。日々慌ただしく生活を送る中で、今一度仏様に手を合わせ、仏様を見ることにより、自己を見つめ直し顧みる出会いがあったように思います。また、今回帰敬式を受けさせていただき、法名を承りました。南無阿弥陀仏という仏の智慧を基に、今後の人生、自分自身の命の尊さ、生きる喜び、意義を全て受け止め歩んでいこうと思います。
今、時代がめまぐるしく移り変わる中で、先人から受け継がれてきた聞法生活を絶やすことなく、子や孫に伝えていくことが大切なことの様に思います。最後になりましたが、この後期講習に引率いただきました美濃部組長をはじめ、教導、補導の先生方、スタッフの方には、お世話になりありがとうございました。合掌

曇天の京都駅を降りて一路真宗本廟に向かい、日頃は横目に眺め通過するお堂も、今回講習の名を背負うと雄大さと荘厳さが身に迫ってくる。また、勤行に着座すると厳粛さが全身を包む。空白さの中に、宗教の仇とも言われる織田信長の安土城も宗教色に染まった大伽藍であった、とある本で読んだ気がする。共通点があるのだろうか。また堂内の朝の冷厳さには、江戸時代の教育者広瀬淡窓の
休道他郷多苦辛 同袍有友自相親 柴扉暁出霜如雪 君汲川流我拾薪
言葉が何時しか心に浮かぶ。
今回の講習では、教導の先生より「宗教とは?」の大命題への指標をいただいた。

凛とした寒さの中、阿弥陀堂、御影堂を仰ぎ見る。大きさに驚く。本日から二泊三日の講習が始まると思うと身が引きしまる。
諸殿拝観、御影堂門清掃等で見て触れて、その偉大さを感じ、東本願寺の歴史、お内仏の説明、作法については知識を深めることができました。
この講座を通じ、この講座を受講しなければ絶対に会わなかった人達といろいろな話ができたことは何よりもありがたいことと思っています。
待っていてはご縁は訪れず、歩み出ないとご縁には出会えない。

私はスタッフという形で推進員養成講座に参加させてもらいました。前期講習では、講師の老泉先生の話の後に、4班に分かれて座談会をしてきました。
後期講習は二泊三日で東本願寺に場所を移して行いました。人数の関係で、今まで座談会をしてきたメンバーとは少し違うメンバーで班が構成されましたが、自己紹介をしていくうちに話しやすくなり、とても盛り上がりました。老泉先生の話の中で「宗教とは、決意をもって人生を見直すこと」だと教えていただきました。
補導の林田さんからは、「人間は生から死を見てしまうもの。生と死はセットなんだから、たまには死から生を考えてみては?」という林田さんのお父さんの言葉を教えていただきました。自分の今のあり方は、これでいいのかな?と考えることができました。

日頃仏事について、深く考えることの無いまま、今回の講座に参加させていただきました。
本山での昼夜を共にしての研修では、座談会等を通して様々な人の考えを聞くことができました。また初めて見る本廟の規模に圧倒される中、帰敬の機会にも恵まれ、日々の生活にも新たな気持ちで向き合う出発点になったように思います。
今回の貴重な経験をもとに、今後出会う人や出来事に対して、より良く生きる方法を模索していきたい。

後期講習に参加して、まず参加された方々が皆温かく接してくださったこと、何よりも本山に足を運ぶことができたことをありがたく思いました。広報で以前、組門徒会会長さんが書かれていた「信心をいただく」「私が信じるのではない」という言葉を改めて学ばせていただいたような気がします。
信心が何かもわからない身が、分かったつもりになったり、いじけたり、腹を立てたり悩んだり、そのままでゆるされて、生かされて生きている。そんなことを、朝のお勤めの時に立ち止まって気づくことができたら、悩み多い人生を歩んでいけるのではないかと、頭で理解するのでなく、ふとそんな気持ちになれるときがあったら、いつ終わるかもわからない日々を、大切に生きることができるかもしれない。これも分かったつもりになっているだけかもしれないと思いますが、阿弥陀仏のア・ミータのアは否定語で、ミータは量るという意味で、「わかったつもりになるなよ」と言うことだそうです。だったら、わかったと思っていても聞き続けていけばいいのかなと思ったりします。それから、お寺が楽しいなと思えるような場にしたいと言われていたのを聞いて、私も楽しく思えたら、そんな人になりたいと思いました。

今回、推進委員養成講座のスタッフの一員として参加させていただく機会を得、他のスタッフ(若い住職さんや若さん)に助けていただきながら、何とか前・後の全ての日程を無事に終えられたことに感謝しております。
講座実施にあたり、若い方の意見を取り入れていただきながら、方向が定まり、かつ参加者の方からの意見・考えを発信していただく座談の時間を多く設けてもらえたことが大変良かったと感じました。しかし、発言が少なかったらとの不安もありましたが、参加者各位が活発な意見を出していただけたことが大変有難いことであったと感じました。
今後は今回参加いただいた方々に活躍してもらえる条件整備・機会の提供等が早急に必要であろうと思っています。

会社人間として40年、寺との付き合いもなく、我が家が東西ともわからず生きてきました。65歳で定年退職し時間ができ、年番の仕事を頂き最近寺へ出向く機会が増えてきたとき、この推進員の話をいただき参加させていただきました。前期講習を受け、続いて後期講習として、初めて東本願寺に参拝できました。我が本山の偉大さに驚き、講義・座談会により無学を痛感し、今までの無宗教な生活を改めるいい機会をいただきました。今後は、真宗門徒として新たな自覚に立ち本願を信じ念仏申す人生を歩みます。

この度、推進員として東本願寺へ二泊三日で養成講座に参加させていただきました。
推進員養成講座は初めての参加で、最少は少し不安もありました。東本願寺に入り改めて、御影堂、阿弥陀堂のスケールの大きさには感動させられました。養成講座の内容としては、お勤めに始まりお勤めに終わるまた、その間仏法に関する講座があり学ぶ事が多くあったと思います。中でも廟堂から御影堂、東本願寺のあゆみで親鸞聖人の命終から現在まで4回の大火があり両堂焼失そのたびに再建されてきたことに驚くことが多くあります。
この度の養成講座は貴重な体験をさせていただきました。これを機に少しずつでも推進員として宣誓文に記載したように仏法に触れて行きたいと思います。

24組の各寺より推進員が集まり本山での3日間の後期講座で親鸞聖人の教えを学ばせて頂き、少しではありますが、お寺(仏事)、お内仏を知ることができました。又、全国の門徒のご先祖様の力に感心しました。9月2日に28人の受講者に始まり12月10日には一人一人のつながりで一つの輪(和)になったように思います。今後さらに多くの出会いで、さらに大きな輪(和)になるよう皆で考えていけたらと思います。皆さんご苦労さまでした。ありがとうございます。

余裕の無い毎日を送っている中、推進員を勧められ、お声掛けを頂いたことは受け入れも難しいものでした。
一回二回と講座を重ねる毎にコールタールで固まったような気持ちが少しずつ、少しずつ剥がれてゆきました。
養成期間にお共させて頂いた方々のお話にも触れ、『お内仏とは』『幸せとは』『豊かさとは』いつもと同じ生活の中でそういった事に向き合う、改めて見つめ直す、きっかけを下さった、気付かされた座でありました。
気持ちは次第に参らされる時には『参っと講(こう)』に。
御指導頂いた先生方、スタッフの方々、講座の為に見えない所で働きかけをした下さった皆様、共に講座を受けた皆様、いっぱいの感謝をひとつの言葉で贈ります。『であい ありがとう』

「今度24組の推進員養成講座がひらかれるので行ってみないか。」と住職様より声かけ頂き「こんな私が?」と自問しつつも『このご縁を大切にしたい』との思いから参加させていただきました。5回の講座では一方的に聞法するというだけでなく、老泉先生の講義と班別座談会で進められ、毎回違うお寺を訪れました。世間の狭い私にとっては不謹慎にも物見遊山的な気分になれ、とても新鮮でした。講座を受けたことでステップアップした自分になれたはずもなく、何も変わりませんが、南無阿弥陀仏を依りどころにし、手を合わせる暮らしを心掛けたいと願っています。
この講座を通してお出遇いした皆様に感謝申しあげます。

養成講座に参加させていただき、老泉先生の講義を聞き、今まで知っているようで詳しいところまで理解していなかったことをわかりやすくお話していただきました。
また、判別座談会の最初のころはテーマに沿った話がなかなか出てこなかった場面もありましたが、回を重ねていくほどにリーダーの方のお話で話しやすい時間を作っていただきましたことに感謝いたします。最後になりましたが、組長様はじめスタッフの皆様、ありがとうございました。

普段聞くことのできない基礎的なお話をしていただき、その後、数人に分かれて一つのテーマを話し合いました。最初の会は緊張で一言も発言できませんでした。あっという間に5回目の講座が終わってしまいました。近くですが一度も言ったことのないお寺に足を運ぶことができました。どこの寺も立派だと思いました。本山に後期講座のため行かせていただきました。24組は3班に分かれ、班ごとに補導さんがついてくださり、私たちを指導されました。奉仕作業では御影堂門に登って、雑巾がけをさせていただきました。食事はいつもおいしくて、お腹一杯になりました。夢のような時が過ぎ、無事家に帰ることができました。班の人たちと作成した宣誓文を読み返しています。出来るかはご縁だから、あの日、遅くまでみんなと考えて自分たちで作ったということに意味があると教えていただきました。まだまだわからないことばかりですが、これからも聞いて行ければ良いなと思いました。

この講座は、5回あったが、事情により4回しか参加できなかった。でもこの研修を通して色々なことを研修できたことは有意義であった。そのいくつかを挙げてみることにする。まず研修会には、いつも各寺より推進員が必ずと言っていいほど参加されていたことである。その底流には、湖北独自の真宗に対する佛恩報謝の心が伝承されている証拠でもある。二つ目は、講師であった老泉先生の問題提起の講話では、寺に対して「私がこれから大事にしたいこと」が提示され、寺についての歴史等が祖先から受け継がれてきたことなどが良く理解できた。今後は、この研修で学んだこと生かしていきたいと考えている。なまんだぶつ

推進員養成講座にあたり改めて資料を振り返ってみました。内容の感想と言われるほど蘇ってこなくて申し訳ありません。しかしながらお寺の存続については、お寺離れを防がなければなりません。後継者には私たちの背中を見てもらうしかありません。
ところで、私はひょんなことから職場でゴミを拾うことで徳を積もう、徳を得ようと、したたかな下心から始めました。しかし何週間か過ぎて何となく徳を積むことが自分のためではないような気がしてきました。それは前にお寺の勉強会で習った一劫という言葉を思い出しました。計り知れない時間といった意味と同じように徳を積むこと。損得を意識せずに自然な行動として行えたらと思いが変わってきました。何代も何代もかけて私がこの世に生かされているのはご先祖様のおかげたと。私が今していることは小さなことだけど、また来世に繋ぐことができたらと思います。これも邪心なのでしょう。

残暑の9月から11月下旬までの5回の研修会に参加して様々なことを学ぶ機会を与えられたことは、真宗門徒として幸せであった。最近の社会情勢の変化によって、寺の歴史も大きく変化してきたことは、まぎれもない事実である。私たちの幼少の頃は、現在のような文明社会でなく、各村においては米作りを中心とした生活が主であった。一年中労働ばかりの連日であった。その結果、年末にあった報恩講で村人が一堂に会して、一年の感謝をこめて、寺に集まり佛恩に感謝したことだったろう。今では金銭が主な流通手段になっているために、寺を中心とした社会から、隔絶され、取り残されてことになっているのが現状である。しかし、湖北で脈々と受け継がれていた「親鸞聖人の教え」は、私たちの血脈に伝承されていることは、忘れてはなるまい…。なんまんだぶつ。

講座全てを受けられず、本山の講習にも参加できなかったのですが、普段あまり話をすることのない他寺の門徒の方とお寺のことについてお話ができたということだけでも参加してよかったと思っています。
私自身は多分参加した方の中でも信仰心は薄い方だと考えています。しかし今回参加した講座の中で親鸞聖人や蓮如上人が当時の社会の不条理の中で、人々を救うために阿弥陀様の教えを広めようとされたということが、今日のいろんな世界の、社会の矛盾を解く鍵になってくれないだろうかと考えています。大風呂敷を広げましたが、混沌とした現代に一条の光を見つけねばと、それが真宗の教えであればと思い、今後も皆様と共に歩んでいけばと考えております。また何かの機会があれば参加したいと思っております。

2018年01月04日